社会から見捨てられた,とある個人の手記

世界経済や社会現象を通して,自己とは何かを突き詰めていきます.基本的に便所の落書きです.

金融緩和は拝金主義を助長する.

「金融緩和で株価が上がってみんなハッピー」

これがリーマンショック以降の世界の認識であった.

 

しかし冷静になってほしい.

日銀は毎日数十億円の単位でETF国債を買い入れている.

つまり,億単位のお金が無から生み出されて市場に流れ込んでいる.

一方,私たちは月給二十万そこら,数年かけて僅かに貯まった資金で株式に投資する.

 

私たちが毎日汗を流してようやく得た僅かなお金.

中央銀行が株価や金利を買い支えるために無から生み出される億単位のお金.

 

あまりにもアンバランスだとは思わないか?

日銀が何の苦労もなく生み出せる数十億というお金.

そんなものを追い求めて大切な労働賃金を株式市場に投じる私達.我々は人生の貴重な時間を労働に費やして賃金を得ている.すなわち賃金とは命そのものだ.

 

そんな重みのある命と,一方で軽々しく帳簿上で膨張する命をもたない日銀マネー

これが金融緩和の真実だ.

 

我々はお金に操られてしまっているのだ.それを眺める天空の神々には,きっと塵芥を奪い合う醜い小人たちだと嗤われているに違いない.

 

日本人の民族的弱さ

家電,半導体,PC,携帯電話などなど.

日本は様々な分野で初期に革新的な発明をしながらも,後の市場のイニシアチブを失ってきた.品が違えど,各産業の没落プロセスには非常な共通点があるように見えて仕方が無い.すなわち,それは偶発的に発生した新技術やサービスの価値を正当に評価することができないために起こったように思える.従来現存の体制,伝統的支配を肯定したいという生物的な本能が戦略的な意思決定を妨げた.

 

全世界が競争相手となるグローバル市場において,本能的に安心を求める行為は命取りになる.なぜならこれは,理論的に予測できる行動であるから,単に競争相手に利用される隙にしかならないためだ.

 

日本人は,何か地殻変動が起こりそうになった時,その変化を正当化する外部の権威を欲する.それが米国であったりドイツであったり,時には一企業 Apple, Amazonであったりするのだ.その権威の傘に守られている限り自分は安泰であり,その変化をあたかも自分らが望んだものかのように主張することができるのだ.それは,その変化が後に "Evilなもの" であると分かった時に,そのかどを他人に擦り付けたいがためだ.

 

ここに日本人のなよなよしさが表れている.

 

最近日本人はアメリカナイズドされつつあると言われているが,実はこの本能は全くインプリントされたままであり,根っこに弱さを抱えたままでいる.これは島国根性で出る杭を打ち合ってきた民族と,未開の地を切り開いてきた民族との決定的な違いでもあるだろう.

 

不便さの解消は世界を衰退させる.

私はかつてFF11ファイナルファンタジーXI)というオンラインゲームをプレイしていた.これは先駆的な仮想現実空間であり,壮大な社会的実験であったのだと思う.

 

この体験から私が得たことは,不便さの解消が世界を衰退させるということだ

 

人間の文明は生活を便利に豊かに快適にすることを目指して発展してきた.その営為が皮肉にも世界を衰退させているという主張は,実に荒唐無稽に思えるだろう.

 

しかし,これが真実であった.

サービス開始当初は,移動に時間が掛かるゲームだった.船や飛行船などの移動手段を利用して各地を移動していた.しかし,ワープが導入されて一瞬で移動できるようになった.それによって中間にあったものが排除され,最も利便性のある地点にすべての資源が集中した.移動は便利にはなったが,地方は完全に廃れその存在価値を失った.運営者は,これを解消するためにエンドコンテンツのエントランスを地方に設けるなどしていた.それは一見効果があるように思えた.しかし実態は特異点が移動しただけであり,各地の有機的な結合は果たして復元できなかった

 

移動の制限という前提条件によって結び付けられていた各地が,その前提を失ったと同時に有機的な結合を喪失することはある意味自然な成り行きであろう.私がこの例で言いたいことは,この変化が不可逆的であり,過去の状態を復元できない性質を持っているという点だ.

 

上では地方間の関係を論じてきたが,人間個人についても同じことが推測できる.

もし全てが自己完結できるような世界になったとして,人類は隣人と有機的な結合を維持できるのか?少なくともFF11の世界では,市民の結合はほぼ完全に失われてしまった.不自由が無くなったと同時に世界は無味乾燥となり,色褪せてしまった.

 

人生とは,不便を体験する過程であったのだ.

思いのままにならぬことに苦しみ悩む経験こそが人生であったのだ.

 

不便が無くなった世界に果たして人生が存在し得るのか?

 

企業に行動を支配される個人 -21世紀のアイデンティティとはー

人間というものは,常に自分の意思で行動していると自認している.

しかし,その意思決定が実は営利企業に支配されたものであることが少なくない.

 

数年前から流行っているポケモンgoを例に挙げてみる.

最近ポケモンgoではいわゆるバラマキを始めている.いつでも冒険モードという,アプリを起動していなくても歩数がカウントされ,歩行距離に応じてアイテムが毎週入手できる仕組みが導入された.一見,お得でユーザーフレンドリーの良いアップデートだと感じる.私もしばらく騙された.しかし,これは巧妙な罠であった.

 

以下がNianticサブスクリプションスキームである.

 

毎週アプリを起動していなくともアイテムが支給されてくる.

お得だと思い,ゲームをする時間が増える.ライト層でも興味を持ち始める.

アイテムが溢れるので,アイテム所持数拡張などの課金をする.

以下ループ

 

私は何の価値もない電子データを買うためにお金を支払っていることに気が付いた.

企業は,”ただ単に勿体ないから”,”せっかく貰ったから”という気持ちを揺さぶってくる.そのものが各個人に必要なものかどうか考える隙を与えないのだ.これは極めて危険な状態であると気が付いた.私は私の人生を生きている唯一無二の実在ではなく,企業の思惑に沿って行動する操り人形だったのだ.

 

21世紀の私たちは,ただ外部から与えられるものを消費するために存在し,それを消費するために必要な金銭を得るための労働に人生の大半を費やす.

 

私は完全に資本主義のスキームに飲み込まれていると分かった.恐らく,このことに気が付いている庶民はまだほとんどいない.

 

世の中は想像した以上に悪意に満ちている.

 

 

投機は虚しい.

金を転がして口座残高が増えても減っても虚しいと分かった.

私は根本的なことに気が付いていなかった.

 

お金に不自由しない状態(状態M)はできても,それは幸福な状態(状態H)と同値ではなかった.

 

すなわち,M≠H である.

 

ふとした瞬間に,足元が崩れていくような感覚を覚えた.

これが時代の共通認識を先んじていたとすれば,どうか.

 

今お金に執着するのは危険かもしれない.

なにかがおかしい.

 

2019年1月3日 アップルショック

昨日2019年1月3日早朝,円相場がとんでもない動きをした.

移動中の電車の中でレートをチェックしたら文字通り目が点になった.

 

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直近高値から約4.8円のドル円レート大暴落.

証券会社によってはBid103円台まで付けていたところもあった.

クロス円も揃って大暴落.どこかで核戦争でも始まったのかと思ったぐらいだ.

 

率にして4%強の下落となる.

レバレッジ25倍であれば,25×4=100%,すなわち破産級ボラティリティである.

 

円相場がこんなに急伸したのは本当に見たことが無い.

余りにも異様な動きであった.昨年4月以降安定して円安トレンドであったのが,一瞬にして豹変した.これまで111円オーバーの滞空時間が非常に長かったので,今回かなり死人が出たのではないかと思う.2018年は押し目を拾って平均単価110円ぐらいが上手い人といった感じであったと思うから..ほんとうに阿鼻叫喚の世界であったと思う.

 

ニュースでは全く取り上げられていないのだけれども,何か恐ろしい事の前触れの気がしてならない.AIによる高速自動売買によって,金融市場が自壊し始めているのではないか?これは新たな暴落の形なのかもしれない.地政学的リスクやシステミックリスクではなく,ただ下げるために下がるというリセッションである.

 

人間の欲望が生み出した装置が暴走したとして,それは一体どこまで突き進むのだろうか.多分誰も想像しないような光景が目の前に広がっているだろう.

 

2019年の抱負 ー人生の完全性についてー

私の2019年の抱負は,以下に決まった.

「怪我を恐れるよりも,怪我を直ぐ治すよう努めること.」

 

投資とは人生の縮図そのものだと改めて感じる.

 

なんでも動けば傷が付くものだ.傷は動いた証しである.

無垢であることが完全性を示すとは限らない.

むしろ残った古傷がその人となりを映し出す.

 

人生は死んでしまえば終わりだが,それ以外は何とでもできる.

投資も同じだ.退場してしまえば終わりだが,それ以外は立ち直れる.

 

問題は自分に意志が残っているかどうか.

今年は重要な年にしなければいけないと感じている.

would ではなく have to である点が自分に対する責任である.