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不便さの解消は世界を衰退させる.

私はかつてFF11ファイナルファンタジーXI)というオンラインゲームをプレイしていた.これは先駆的な仮想現実空間であり,壮大な社会的実験であったのだと思う.

 

この体験から私が得たことは,不便さの解消が世界を衰退させるということだ

 

人間の文明は生活を便利に豊かに快適にすることを目指して発展してきた.その営為が皮肉にも世界を衰退させているという主張は,実に荒唐無稽に思えるだろう.

 

しかし,これが真実であった.

サービス開始当初は,移動に時間が掛かるゲームだった.船や飛行船などの移動手段を利用して各地を移動していた.しかし,ワープが導入されて一瞬で移動できるようになった.それによって中間にあったものが排除され,最も利便性のある地点にすべての資源が集中した.移動は便利にはなったが,地方は完全に廃れその存在価値を失った.運営者は,これを解消するためにエンドコンテンツのエントランスを地方に設けるなどしていた.それは一見効果があるように思えた.しかし実態は特異点が移動しただけであり,各地の有機的な結合は果たして復元できなかった

 

移動の制限という前提条件によって結び付けられていた各地が,その前提を失ったと同時に有機的な結合を喪失することはある意味自然な成り行きであろう.私がこの例で言いたいことは,この変化が不可逆的であり,過去の状態を復元できない性質を持っているという点だ.

 

上では地方間の関係を論じてきたが,人間個人についても同じことが推測できる.

もし全てが自己完結できるような世界になったとして,人類は隣人と有機的な結合を維持できるのか?少なくともFF11の世界では,市民の結合はほぼ完全に失われてしまった.不自由が無くなったと同時に世界は無味乾燥となり,色褪せてしまった.

 

人生とは,不便を体験する過程であったのだ.

思いのままにならぬことに苦しみ悩む経験こそが人生であったのだ.

 

不便が無くなった世界に果たして人生が存在し得るのか?